店主からのご挨拶
明治19年「文の京」文京区に店をかまえ、今年で139年を迎えます。地域の皆様に支えられて、今日も、お客様のご所望に応える品を提供させて頂ける事に、心より感謝しております。
お茶は、1191年臨済宗の栄西禅師より日本へ伝えられて以来、長く続く確かな農産物です。日本の土地で生産された茶葉は、日本の文化や歴史と共に受け継がれてきました。日本茶は、私たちの心と体に良い効果が沢山あるのです。
「大坂や茶店」は、安心安全な農家の顔が見えるお茶で、リラックスして頂きたい。農家さんがこだわって作った美味しいお茶を、文京区にお住まいの方はじめ、多くの方にお届けしたい。お茶の素晴らしさを次世代の子供たちに伝えたい。そんな思いと共にお茶の楽しみ方のご提案もさせて頂きます。
お茶のあるくらし。皆様とご一緒に。
令和3年 四代目店主 田口陽一
大坂や茶店のあゆみ
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大坂屋のルーツ「大坂屋」のルーツは、商家の屋号紋の「泉(カクセンイズミ)」が表すように、古くは大阪府堺・泉州にあります。その後、元禄時代に江戸へ移り、1700年代後期には、晶平橋の近く神田旅籠町(現在の秋葉原)に店を構えていました。 明治19年頃 初代廣吉 
 
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大坂や初代、文京区へ旅籠町「大坂屋」の三代目伝衛門(田口梅吉)の養子、田口廣吉と妻 さと(梅吉の長女慶応元年生まれ)は、1886年(明治19年)「白龍軒 泉 大坂屋」と改め、東片町(現在の文京区向丘)に移りました。この向丘の土地は、以前は大きな味噌屋があったそうです。 大正12年1月29日 
 
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二代目その後、二代目田口泰の時代には、阿佐ヶ谷・大塚・品川・江古田・本郷など17件の暖簾分けをし、「大坂屋本店」となりました。現在のような、真空技術の無い時代なので、茶葉は、茶壷や茶箱で保管し、店内も座敷でした。 昭和11年10月大坂屋茶店同窓会 
 
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昭和初期
  戦前の大坂屋本店 
  店内で、番頭さん丁稚さんと 
 
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戦後昭和20年4月13日、東片町から駕町へかけての空襲で、商店街一帯は、すべて焼け野原となりました。戦後、家族で瓦礫を処理し、昭和21年の夏ごろからバラックで店を再開しました。その後、昭和28年に平屋をつくり、増築や改築などを重ねて現在に至ります。 東京大空襲で全焼しました 
  戦後一号店 バラック小屋で家族6人 お茶屋再開。 
 
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昭和中期昭和28年に平屋建て替え。  昭和28年 平屋新装開店祝の夜 
  狭山の茶畑に仕入れに行った二代目 
  昭和29年頃 
 
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昭和後期
  昭和37年頃 2階建てへ 
  昭和45年頃 店内 
 
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現在
  2021年3月